徒然なるままに...

by 吉川敬子

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死刑囚の句作
2010/07/29(Thu) 07:55:57

 昨日、行きつけの喫茶店に入ると、大きなテーブルの真ん中に飾られた百合の花が芳しい香りを放っていた。夕刊を読もうとすると、トップが死刑執行に関する記事であったので、複雑な思いがした。
 『禅語百選』の中で、著者である松原泰道氏は北山河(きた さんが)という大阪の俳人のことを紹介している。山河氏は10年間にわたり死刑囚に俳句を教えたが、明日がわからぬ死刑囚の句作への精進ぶりと、街の人の想像もできぬ秀作が生れるのに感嘆したとのこと。
 「夜の蝿 追えば独房 広すぎる」
 この句を評して、山河氏は、「狭い独房を広くした彼の心に頭が下がり、感に堪えかねて泣いた」そうである。松原氏も、「心にかかるものがありながら、なお心の寛さを身につけた処刑前の罪人の作を知って、私も深く感動しました」と書いてある。
 それにしても、<夜の蝿>とは、一体、何を暗喩しているのであろうか。
エアコン修理
2010/07/28(Wed) 07:32:18

 エアコンが壊れたので、月曜日に近所の電気屋さんに来てもらった。「これは、メーカーのサービス・センターに依頼するほうが早いですなあ」と言いながら、電気屋さんはサービス・センターに電話をかけてくれた。「あのー、火曜日の午後2時までに修理してください。お願いします」と私は必死に頼み込んだ。何故ならば、電話の向こうで「ただいま修理が混み合っております」と言われたからである。
 修理業者は昨日の午後12時40分に現れた。そして、1時間で修理を了えた。修理代を現金で支払っているところに、第1番目の生徒が現れた。どうにかぎりぎりでセーフ!
 故障の理由は、室外機の基板にあった。「基板の機能が落ちているようです。基板を交換してもいいですか? ただし、有料ですよ」と言われたので、「是非、お願いします」と言うほかなかった。
 室外機の基板はコンピューターの内部に似ていた。完全に壊れてしまったわけではないが、伝達指令回路が怪しくなっていることだけは明々白々。これと全く同じことが人間の体の機能にも言えよう。鈍くなってきている伝達回路をいかにして少しでも機能を持続させていくか、日々、これ戦いなり。
寄付? それとも ギフト?
2010/07/27(Tue) 07:28:10

 タイ人講師から「寄付をもらいました」と言われた時、「寄付? あれあれ?」と訝しく思った。泰日文化倶楽部のために寄付を募ったことはこれまでに一度も無いので、何だか変だ。ただし、市原の象のために寄付を求めたことはある。そして、最近では、アーティスト達が始めた「宮崎口てい疫被害者の為の寄付」で、彼らが作成した絵葉書(1枚=150円)を売った経緯はある。
 ところが、タイ人講師からよくよく聞いてみると、「寄付」ではなくて、「ギフト」であった。タイ人は末子音は発音しない。したがって、「ギフト」は「ギフ」としか聞こえない。さらに、タイ人が発音する<カ行>は、<かきくけこ>なのか、<がぎぐげご>なのかはっきりしない。したがって、私の耳には「ギフト」が「寄付」に聞こえたわけである。
 昨晩の授業でも、紙幣のことを、タイ人講師が「ベン(baeng 高声)」と発音したが誰も分からない。「ベンツの車とどうちがいますか?」と質問する生徒がいた。タイ人講師はすぐに答えた。「ベン(ben 高声」、と。母音、及び、末子音が違うが、日本人にはその違いが全く分からなかった。
サーラー(あずまや)
2010/07/26(Mon) 07:42:32

 このところの猛暑で、707号教室のエアコンがついにダウンした。生徒さんには実に気の毒なことである。朝一番で、電気屋さんと連絡を取ろうと思っている。
 したがって、昨日は窓とドアをすべて開けてみたところ、707号教室の風通りは抜群によいので、自然な空気が感じ取れた。女性の生徒は「このくらいが丁度いい」と言ってくださった。
 それを聞いて、アジア・アフリカ語学院のスワヒリ語の先生が行なっていた木の下の青空教室を思い出した。そして、タイの僧院におけるサーラー(あずまや)を思い浮かべた。そこには心地よい風が流れていたからである。
 カンボジア語で学校は「サーラーリエン」というが、この中にもサーラーは入っている。ミャンマー語では学校のことは「ヂャウン」とか「ヂャウンサヤ」というが、語源から見て、<サヤ>は、<サーラー>である。先生のことも「サヤ(男)・サヤマ(女)」というが、やはりタイ語のサーラーに通じる。
 ということは、学校も先生も、生徒にとっては<サーラー(あずまや)>に相当することになる。学校も先生も彼らの<心の休み処>にならなければならないと思う。
 
10分間テスト
2010/07/25(Sun) 08:24:41

 語学検定試験が好きな人は頑張って受験して、自分の実力を測定してもらうのもよいことだ。だが、そこまで望まない人は、ただ楽しく、のんびりとその言語を楽しめばよい。
 最近、「初級クラス」の生徒さん達に対して、授業の終わり10分間を使い、「入門クラス」で習った単語のテストをしている。すると、答えられない単語は1〜2語で、その他はスイスイできるので、とても嬉しそうである。
 「自分はまだ覚えていない」という悩みが払拭され、「案外、できるもんだ」という自信が得られたらしく、「こういう小テスト、またやって下さい!」とリクエストがきた。
 習いっぱなしではだめで、自信を持つためには、小さな確認が必要だ。その手伝いをするのも語学教師の役割の一つと言えよう。生徒をむやみに誉めすぎるのはいけないが、初心者の落ちこぼれを防ぐには、生徒と一緒になって、10分間テストを楽しみたい。
ギリギリの生活
2010/07/24(Sat) 07:34:05

 デフレで品物が低価格現象にあるとはいえ、多くの人達にとって生活していく上で苦しい思いが続いているのは否めない。4月から採用したエーク先生は文部科学省の国費留学生である。私は彼に尋ねてみた。
 「エーク先生の家はリッチだから、仕送りは問題ないわよね」
すると、「僕は親から全く送ってもらっていません。奨学金だけで暮らしています。だからギリギリの生活をしています」
 そこで、<ギリギリの生活>という表現をタイ語で言ってもらうと、「ポー・ギン・ポー・チャイ(食べるに十分、使うに十分)」という答が返ってきた。「他には無いの?」とさらに聞くと、「ハー・チャーオ・ギン・カム(朝、稼ぎ、夕方、食べる)」と答えた。
 しかし、彼は学生であり、まだ実際に働いた経験はない。<ギリギリ>というニュアンスがどうしても伝わってこないので、「まだ他には無いかしら?」とさらに質問を続けると、最後に次なる答が返ってきた。
 「ドゥアン チョン ドゥアン (1ヶ月と1ヶ月が衝突する)」
 おそらく辞書にはまだ載っていないであろうが、なかなかに面白い表現だ。
「もう一度やりなおすタイ語」クラス
2010/07/23(Fri) 08:02:32

 タイ語の勉強のために毎週必ず通って来ても、ただテキストだけが進んでいくだけで、実際は内容をきちんと理解しているわけではない。そのような生徒さんが大勢いるので、「もう一度やりなおすタイ語」という特別クラスを開き、一人一人の理解度をはかることにした。
 昨日、そのクラスに申し込んでこられた方は、何と2年前の生徒さんであった。彼女は現在、イサーン地方に住んでおられるが、夏期休暇を利用して帰国したばかり。タイ人たちと毎日タイ語をしゃべっているので、話すスピードは早い。地方における自然な日常生活をあるがままに受け容れていて、とても好感がもてた。
 せっかく授業に出てくださったわけだから、彼女のタイ語力を判定しなければならない。したがって、次なる課題は、タイ人講師が読む短文をそのまま反復させた。すると、発音においてかなりのいい加減さが露呈した。その次にタイ語で書かれたその短文を読ませたところ、読む速度が遅かった。最後に簡単な単語をタイ文字で書かせたところ、かなり怪しかった。
 助言として、もっとタイ語の小学校の教科書を読むこと、そして、毎日、タイ文字を書くことを勧めた。さらに、タイのテレビを見て、標準タイ語をたくさん耳に入れるようにとつけ加えた。
般若心経の扇子
2010/07/22(Thu) 07:48:10

 私が毎日、利用しているJR駅には、改札内近くのスペースを使って週替わりでいろいろな店が出ている。このような店って、はたして何と呼べばいいのだろう。雨露にさらされるわけではないから露店でもない。屋根がついているわけでもないから屋台でもない。
 今週は扇子を売っている。この暑さでさすがの私も飛びついた。しかし、なかなか気に入った扇子がみつからない。おそらく中国、もしくは、ヴェトナムで作られたものらしい。どうしても色合いや風合いがピンとこないのである。
 ところが、地色が紺色をしたおとなしめの扇子がどうにかみつかった。それは「般若心経」が一面に印刷されたものである。
 「佛説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。(以下、続く)」
 こう暑いと、山寺に行ってお経を聞きながら、自然の中で暮らしたくなった。だが、そうもいかない。電車の中で扇子を広げながら、「色即是空。空即是色」を唱えることにしよう。
1050回分 の 1048回
2010/07/21(Wed) 07:29:42

 昨日で上智大学の2010年度前期講義が終了した。試験を採点し、成績をつければ晴れて夏休みである。
 上智大学には1998年から出講しているが、初級、中級、上級の3クラスは1年間にそれぞれ28回の授業があるので、これまでの12年間半に於いて1050回の授業回数があったことになる。
 そのうち、やむを得ぬ理由でもって2回だけ休講した。そのうちの1回はタイ国王在位60周年記念行事を取材するため、そして、あと1回は徹夜の仕事がどうしても終わらず、ついに授業に間に合わなかったいきさつがある。
 いずれにせよ、1050回の授業のうち、1048回、大声を張り上げて元気に授業が出来たことをとても誇りに思う。時間数に換算すると、1575時間、教えたことになる。
 4年前から学生と一緒に社会人も学ばせているが、同じように教えても、学生と社会人の間には学力の差が著しい。学生はぐんぐん伸びる。大人は停滞して止まっている。
 若いことはすばらしい。大人はそれをうらやむことなく、お金と時間をかけ、そして、気力を振り絞って、ただひたすら勉強すべし。
猛暑到来
2010/07/20(Tue) 07:56:16

 昨日、東京は34.5度であった。練馬区では36.4度を観測したとのこと。道理で、歩いていても何が何だかわからず、ぼうっとするばかりであった。テレビの天気予報では日本列島がオレンジ一色になっていた。今日はさらに温度が上がり、猛暑日になるそうである。
 ところで、オレンジ色は、タイ人の考え方によると、木曜日生まれの人にとってのシンボル・カラーである。私はその木曜日生まれなので、オレンジ色はラッキー・カラーだ。そこで、最近、オレンジ色の財布を購入し、運気と金運の向上をはかることにした。朝一番でオレンジ・ジュースをごくりと飲むのも習慣にしよう。
 近くの中華料理店のちらしがポストに入っていた。ちらしはオレンジ色であった。店の名前は「潤シン源」。カタカナで書かざるを得なかった<シン>は、実は、<金>という漢字が3つ重なった中国漢字である。なんだか目出度い感じがするので、しばらく傍に置いておこう。


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